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今の日本に足りないのは何か。性善説と性悪説って

更新日:2023年3月11日

性善説と性悪説、人間はみんないい人またはみんな根は悪い人だからそれに沿って物事を進めましょうって概念を元にビジネスを進める話が多かった気がします。


多分性善説を前提に進めるリーダーがメンバー的には好感が持てるという感覚を持っていたのです。


私自身その二つの言葉に違和感というか、しっくり来ない気がしでたんですよね。


元々性善説というのは人間の本性は基本的にいい人であるって考えた昔の偉い人(孟子)の考えに対して、人間元々欲望に弱いが教育や本人の努力により礼儀や考え方を正せるって言う性悪説(荀子)の考え方がありますがどちらも同じ事を言っているような気がします。


なぜこの記事を書こうかと思ったのはキーエンスの非公式分析の本を読んでいた時に性弱説という言葉を知ってしっくりきたからです。


多分この言葉を受け入れると、今の日本に足りない優しさ?が仕事をする上で増えるのではないかと考えました。特にIT業界悩む人が多いと思っているのですが、人に多くを求めすぎるし人に期待しなければ(言い方が悪いので他人に頼らず自分でなんとかする)という考えがあれば優しい世界になるのではないかと思います。


報告してこないではなく、自分から聞きに行く。周りがなにをしてるかわからないではなく積極的に知りに行く。あの人は働かないではなく助けてくださいと仕事を助けて下さいとお願いする。など


また会社を経営する上で、定期的な部署の配置転換などは社員にとっては不満が多いと思います。

その狙いを理解してないから不満が出るのだと思います。


人は弱い生き物ですから、自分しか出来ない事があれば横柄になりますし、不正など発生する可能性があります。そういう事を防ぐために属人化させない、従業員の視野を広げ成長させるため、どんな業務も人が変わってもどうにかなるという事を狙いとして定期的な配置転換があるのだと個人的に思ってます。


この人がいないと業務が回らないというのはリーダーの仕組み作りの努力が足りないという事です。また性弱説にたてば仕事ってもっと協力的になり心理的安全性も高まると個人的に思うし仲間にイライラしないのではと思います。


このような事を踏まえてみんなが助け合う社会が出来るといいなーと思ってどうしょうもない呟きの記事を書きました。


人間は弱い、いろんな人を受け入れられる器の大きい人間になりたいと思います。

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