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貴方は神を信じますか、信じる人は救われる…のか?

若い頃は神様を一切信じない気質でした。

ですが自分の力だけではどうにもならない事を仕事上対応しだした時から、神様にあやかる様に行動が変わりました。


この行動の変化は、妻から昔は神様なんか一切信じなかったのにと事ある度に馬鹿にされる始末です(笑)


私が対応している仕事はIT系なので、機械やソフトウェアの不具合は論理的に不具合を起こすもの。理系の方は論理的な思考が高いから正解があると思ったりしてしまう事がありますね。

(私は以前そうでした。。


いつも物事には答えがあると思っていた頃もあったし、物事はシンプルだと思っていた時もあるし当時はそう考えていました。


ですが世の中は複雑な事象が絡み合い、予想だにしない事ばかりだだし、正解なんかない感じるように私自身は変わりました。

論理的思考が高い方は受け入れたくないんだと個人的に思います。


人間は自分の考えてることを正しいと思う習性があると何かの本で読んだ記憶があります。だから都合のいい意見、文献を人は無意識に探すみたいです。

つまり自分の考えの反証の事を、調べようとしないらしいですね。(自分自身がそうw


題名からちょっとズレたので、話を戻しますと


神様を信じる?または願掛けをする行為って一体なんなんだろうかと思いませんか。


論理的な人は神様にお願いしても、叶えてくれないと言います。それは正しくとおもうんですよね。


では何故お願いをするのか。。。


神様にお願いして、叶うと思うこと。

この出来ると思う事が、人間の思考を止めない効果に繋がり、努力や試行錯誤の行動のエネルギーになると個人的に考えてます。


つまり出来ない、無理だ、ダメだと思うとエネルギーがなくなり脳というCPUが停止すると思うんです。


前職の代表が出来ない理由を言うな、出来る理由を言えと。出来ない事はない、やれば出来ると事あるごとに言っていて。この人頭がおかしい(失礼ですが)と思っていたことがあるんですけど、今思うと共感できるんですよね。伝え方が下手だったのかな(笑)


つまり神頼みというのは、脳の動きを外部から活性化させたり、出来ないと思わせないで思考と思考錯誤をするためのコマンドなのかなと最近では理解します。


困難にぶち当たって諦めた人もいるでしょう。でも世の中にCPUは一つではなくて仲間というCPUがあることを認識出来るかが重要なんだと思います。だから成し遂げたいと思った事は人に伝えるべきで、仲間のCPUの琴線に触れた時にアイデアが生まれるかも知れません。


1人で何かを成し遂げる必要はないのです。みんなを頼りましょう。と昔の仲間が悩んで失踪したりした事を、聞いたので呟いてしまいました。


意志が弱いと自分自身思ってる人は、神様にお参りとお願い事をして必死で努力してみるのはいかがでしょうか。



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